認知症テクノロジーはケアを変えるか
中国・深圳で平安保険(Ping An)に招かれ、「Technology and Dementia Care: Creating Better Outcomes Through Innovation」と題して講演とシンポジウム登壇の機会を得た。

平安保険はいわゆる「保険会社」の定義には収まらない。保険の販売だけでなく、オンライン診療、病院との連携、在宅高齢者ケア、健康管理、高齢者住宅などを展開、それらのデータ基盤に基づきAIやテクノロジーの実装を進めている。
僕にこのようなテーマで講演依頼があるというのは、認知症ケアにおけるテクノロジーの実装で日本が進んでいる、という認識があるからなのだろう。
その「ケアテクノロジー先進国」と目される日本で、ではどのような技術が実際に認知症ケアに活用されているのか、まずは整理してみようと思った。
遠隔モニタリングセンサー、ウェアラブル、コミュニケーションロボット、GPS・・・
認知症ケアの世界には「面白い」技術が多い。
しかし、よくよく考えてみると、本人の生活や家族の負担を実際に改善したといえる技術は、実はそれほど多くはない。
認知症テクノロジーは何のためにあるのか
認知症の人の自宅にセンサーを設置し、夜中にベッドから起きたことを検知できたとする。検知できることは素晴らしい。そのためのセンサーなのだ。
しかし、それだけでは本人や家族のQOLは改善しない。
その人はトイレに行こうとしているのかもしれない。
痛みや尿意で眠れないのかもしれない。
薬の副作用や感染症によって、せん妄を起こしている可能性もある。
遠くで暮らす家族に「夜間活動を検知しました」という通知だけが届けば、むしろ家族の不安は増える。
どの程度の変化を感知するのか。
その情報を誰が確認するのか。
その結果をだれがアセスメント・判断するのか。
判断の結果、誰がどう動くのか。
動いた結果をどのようにフィードバックするのか。
そこまで機能する「システム」になって初めて、センサーはケアの一部になる。

上海市の地域包括支援センター。独居高齢者の生活状況や主要なバイタルサインがリアルタイムで地図上に表示され、自動アラートが生じると担当のスタッフが状態を電話で確認、反応がなければ駆けつける。
センサーの価値は「何を測れるか」ではない。
重要なのは、測定された情報が適切な判断と行動につながり、その結果として本人や家族のQOLが改善すること。
重要なのは、あくまでアウトカム(成果)だ。
その前提で、認知症ケアのテクノロジーを、フェイズ別に4つに分けて整理してみた。
第1フェイズ:認知症の発症を予防する(あるいは遅らせる)
そもそも認知症は予防できるのか。
その有症率は加齢に伴い上昇していく。在宅医療をやっていると、多くの要介護高齢者が認知機能の低下とともに生活をしていることを目の当たりにする。
95歳以上の集団では、その80%以上に認知機能低下があるとする報告もある。
そして、この認知症の増加は、グローバルな課題の1つとされている。
そのような中、Lancet Commission(2024)は、教育歴、難聴、高血圧、高LDLコレステロール、糖尿病、運動不足、喫煙、うつ、社会的孤立、視力低下など、14の修正可能な因子が認知症発症に関係すると整理した。そして、これらの因子への対応によって、認知症の約45%は理論的には予防または発症を遅らせられる可能性があると推計した。
これは、合理的に介入すれば認知症を半減できるということなのか。
おそらくそんなに単純な話ではない。
これは複数の疫学研究から算出された集団寄与危険割合であり、すべての関連が直接的な因果関係であるとは限らない。少なくとも脳トレを頑張れば、認知症を45%予防できるというようなものでは全くない。
より直接的な介入研究として知られるのが、フィンランドで行われたFINGER試験だ。
認知症リスクは高いが、明らかな認知症を発症していない60~77歳の1260人を無作為に二群に分け、一方には食事、運動、認知トレーニング、社会活動、血管リスク管理を組み合わせた2年間の介入を行い、もう一方には通常の健康助言を行った。
結果、主要評価項目である認知機能総合スコアは両群とも改善した。
介入群の改善がわずかに大きく、群間差は年当たり0.022標準偏差、95%信頼区間0.002~0.042、p=0.030であった。統計学的には有意だ。しかし、効果量そのものは大きくないし、認知症の発症を直接減らしたことを証明した試験でもない。食事だけ、運動だけという単一の対策ではなく、複数のリスクを同時に管理するという考え方を無作為化比較試験で支持した意義は大きいと思うが、このわずかな認知症総合スコアの差が当事者のQOLに与えうるインパクトはどの程度だろうか。
おそらく、この領域でテクノロジーにできることは「予防そのもの」ではなく「予防に寄与する生活習慣を選択・継続しやすくすること」ではないだろうか。
家庭血圧、歩数、睡眠、血糖、服薬状況などを記録する。健診結果や保険請求データから高血圧、糖尿病、難聴などの未対応リスクを見つける。本人に合った目標を提示し変化がなければ支援方法を変える。
ただしデータが収集・解析され、スマホに「もっと歩きましょう」とメッセージが表示されても、おそらく何も変わらない(行動変容できない)ということは、みなさんも十分ご自覚の通りだ。
生活習慣を変えられない人には、それなりの理由がある。
膝が痛いのかもしれない。家の近くに安全に歩ける場所がないのかもしれない。身体を動かすことが嫌いなのかもしれない。いずれにしても、将来のリスクを現実感をもって受け止めるよりも、目先の「楽」を優先したい、これは万人が共有する「現在バイアス」だ。これを打ち破るのは容易なことではない。
予防領域において求められる仕事は、もっと泥臭いもののはずだ。
必要な人に、必要なタイミングで、必要な支援をつなぐことである。
アプリのダウンロードは最初の一歩、重要なのはダウンロード数ではなく、いかに利用者のモチベーションをいかに維持・鼓舞し続けることができるか。
テクノロジーは「人間」の本質をより深く学ぶ必要がある。
第2フェイズ:早期発見・早期治療・早期介入
この領域はケアというよりは医療だが、ここには最新の技術が目白押しだ。
認知症の早期診断においては、p-tau217をはじめとする血液バイオマーカーが注目されている。
これまでAlzheimer病の病理を診断するためには、費用のかかるアミロイドPETや腰椎穿刺を伴う脳脊髄液検査が必要だった。血液検査が実用化されれば、検査のキャパシティは大幅に拡大できる。
2025年5月、米国FDAは、Alzheimer病の診断を補助する初の血液検査を承認した。
認知機能低下がある55歳以上から採取した499検体を対象とする多施設臨床研究では、検査陽性者の91.7%がPETまたは脳脊髄液検査でもアミロイド陽性であり、検査陰性者の97.3%は確認検査でも陰性だった。一方で20%弱は判定保留となった。
つまり非常に有用な検査ではあるが、これ単体では完全ではないということになる。
FDAも無症状の人を対象とするスクリーニングや、この検査だけによる単独診断には使わないよう明記している。
検査のハードルが下がれば下がるほど、検査後の仕組みが重要になるという点にも留意が必要だ。
陽性という検査結果を誰が誰に伝えるのか。
偽陽性・偽陰性の可能性をどう説明するのか。
必要に応じてPETやMRI、専門医受診に迅速につなげられるのか。
治療対象でなかった場合にも、生活支援や将来の意思決定を支えられるのか。
早期発見というワードには、無条件に良いこと、という印象がある。
しかし、発見できても、何も提供できないのであれば、不安を早く与えるだけだ。
若年性アルツハイマー型認知症の当事者である丹野智文氏による「早期発見・早期絶望」という言葉は、診断だけが先行し、当事者や家族に対して十分な理解や社会的支援が現状をよく表現している。
このような現状において、検査の「濫用」には倫理的問題を伴う。
特に商業ベースの健康診断サービスがこぞって採用しそうな気がする。彼らは顧客が新薬の適応があるかないかに関わらず、「専門医受診をお勧めします」と自動的にプリントされた検査結果を一方的に送り付けるのだ。
技術が悲劇という負のアウトカムを撒き散らす危険がある。
治療領域においても、イノベーションが生じた。
抗アミロイド抗体薬の登場により、特にMCI(軽度認知障害)のステージでの治療の選択肢が生まれ、早期診断の意味は以前より大きくなった。
しかし、その効果を過大評価すべきではないと個人的には思っている。
レカネマブの第3相試験CLARITY ADでは、早期Alzheimer病の1795人をレカネマブ群とプラセボ群に無作為に割り付け、二重盲検で18カ月追跡した。認知機能と生活機能を合わせて評価するCDR-SBは、レカネマブ群で平均1.21点、プラセボ群で1.66点悪化し、群間差は0.45点だった。
つまりこの超高額な薬は病気を止めたわけではない。
その効果は低下の速度を約27%遅らせることに留まったのだ。
統計学的には明確な差だ。
しかし、この差を患者や家族が日常生活でどの程度実感することができるのか。
それはもしかすると人間関係や生活環境や、あるいはその他の薬剤や疾患の影響の大きさに比べると無視できるくらい小さいのではないか。
またこの新薬による侵襲の存在も無視できない。
脳浮腫や微小出血などのARIAを起こす可能性があり、治療にあたっては前後のMRI、安全性評価、状況に応じて投与の延期や中止判断が必要になる。
今後も認知症の診断や治療の領域は、新しい技術がどんどん投入されていくことになるはずだ。そして、それは我々にとって希望でもある。
しかし、新しい診断技術や新薬は、とりあえず導入すればいい、というものではない。
最適な対象患者の選定、必要な検査の実施と評価、治療状況のモニタリング・有害事象発生時のフォローアップ体制、休薬・再開の判断までを含む「システム」が必要だ。
AIによるClinical Decision Supportは、この複雑な手順の抜けを防ぐためには有効である。しかし、最終的な責任をアルゴリズムに委ねることはできない。
最終的には人間がインターフェイスになる必要がある。
第3フェイズ:自立した生活をできるだけ長く継続する。
認知症をこれ以上悪くしないこと。
多くの当事者や家族が血眼になって取り組んでいる。
しかし、それは認知機能検査で「いい点数」を取ることではないはずだ。
重要なのは、自分で着替えられること、食事を楽しめること、散歩や買い物を続けられること、家族と会話できること、住み慣れた家で自ら選択した暮らしが続けられること。
このような状況をできるだけ長く維持できること。
この領域で興味深いのが英国で行われたNIDUS-Family試験。
認知症の本人と家族302組を、構造化された家族支援を受ける群204組と、目標設定と通常ケアを受ける群98組に、2対1で無作為に割り付けた。評価者を割り付けから隠した第3相比較試験だ。
介入は6カ月間に6~8回行われ、行動・心理症状への対応、家族への心理教育、コミュニケーション、生活環境の調整などから、それぞれの家族の目標に合った内容を選んだ。その後も12カ月まで電話でフォローした。
12カ月後の個別目標達成スコアは、介入群58.7点、対照群49.0点で、調整後の群間差は10.23点、95%信頼区間5.75~14.71、p<0.001だった。主要評価項目を完了できたのは247組、全体の82%だった。
効果を示したのは「テクノロジー」そのものではない。
家族ごとの困りごとと目標を整理し、訓練を受けた支援者が一定の手順に沿って継続的に関わる対人援助の仕組み=「システム」だ。一部はビデオ通話で提供され、必ずしも臨床専門職でないスタッフでも訓練と監督があれば実施できた。
これはテクノロジーの重要な位置づけを示している。
テクノロジーが人間のケアを「代替」したのではなく、良質なケアの手順を標準化し、より多くの家庭に届けるための「手段」として利用されたのだ。
逆の結果を示した研究もある。
英国のATTILA試験は、在宅で暮らす認知症の人495人を遠隔モニタリングセンサーや警報装置などを含む包括的な支援機器+テレケア群248人と、基本的な機器のみを使う対照群247人に無作為に割り付けた実践的比較試験だ。
施設入所の危険度は単純比較では介入群で低い傾向を示したが、95%信頼区間は効果なしの範囲をまたいでいた。さらに開始時のADLの差を調整すると、ハザード比0.84、95%信頼区間0.63~1.12、p=0.20となり、明確な効果は確認できなかった。
遠隔支援デバイスは「設置するだけ」では生活は変わらない、ということなのだろう。
第4フェイズ:苦痛を減らし、尊厳を守る
認知症に対するサポーティブケアと緩和ケア。
第4フェイズとしたが、これは終末期だけの問題ではない。
認知症が進行すると、自分の希望や不快感を言語的に表現することが難しくなる。
だからこそ、比較的早い時期から、どこで暮らしたいか、何を大切にしているか、何をされたくないか、意思表示が困難になった時、誰に意思決定を任せたいか、などを周囲と共有しておく必要がある。
僕自身も日々SNSを更新しながら、基本的な価値観は維持しつつ、考え方の変化(ブレ?揺らぎ?)も言語化・可視化し、その経過をみなさんに開陳しているが、デジタル技術は、このような情報を単に「最終結論」として記録するだけでなく、本人、家族、医療機関、介護施設の間で、気持ちの揺らぎも含め「更新しながら共有する」ために有用だ。
このいわゆる「デジタルACP」は、特にデジタルデバイドのない段階世代以上においては重要な意思決定支援、そして「意思保存」のための手段となりうると思う。
認知症の進行期には、痛みが「痛い」という言葉ではなく、BPSD(行動心理症状:落ち着きのなさ、介護への抵抗、攻撃性、食欲低下、不眠など)として現れることがある。
これは認知症の人のケアにおいては非常に重要な要素であり、顔の表情や行動から痛みなどの身体症状の可能性を検出するAIも研究されている。しかし、この領域のエビデンスは、診断用の血液検査などに比べればまだ弱い。AIが痛みを判定して自動的に投薬するような使い方は適切ではない。
AIは「いつもと違う。痛みがあるかもしれない」と介護職に知らせる。
介護職は生活状況(バイタルサイン・排泄・食事・内服状況など)を確認し、必要があれば、看護師・医師にエスカレーションする。
医療専門職は身体診察や投与薬剤の妥当性について検討する。そしてその介入の結果を再びアセスメントする。
結局、ここでも重要なのはテクノロジーそのものではない。
技術と対人援助をスムースに接続し、1つのループとして機能させるための「システム」だ。
深圳で目にしたのは、テクノロジー実装の厚みだった
フェイズ別に認知症ケアとテクノロジーを整理してみたが、そこには共通点がある。
まずは、それぞれのテクノロジーのエビデンスは一様ではないということ。
そしてそれを機能させるためには人間を巻き込んだクローズドループ=「システム」が必要であるということ。
診断精度が高い技術もあれば、無作為化比較試験で本人や家族のアウトカムを改善した介入もある。一方で、一見魅力的だが生活や介護負担への効果が証明されていないものも多い。
中国は新しいテクノロジーの導入に非常に意欲的だ。
昨年訪問した北京でも、今年訪問した上海でも、医療介護サービスの運営者たちは認知症ケアに留まらず、高齢者の生活支援や事業運営においても多種多様なテクノロジーが導入されていた。もちろんそれらのすべてが効果的に機能しているわけではない。正直なところ、僕は若干の冷やかさをもってその状況を見ていた。
今回、深圳で強く感じたのは、エビデンスを軽視し新しいものに飛びつく無節操さ、というよりは、テクノロジーを現実のサービスの中でとりあえず動かしながらどんどんブラッシュアップしていくというPDCAの速さだった。
平安保険は保険事業に留まらず、医療(病院・オンライン)、介護(施設・在宅)、そしてB to Cという4つのフィールドで事業を展開している。
いずれの事業規模も著しく大きい。
2026年1~3月だけでAI Doctorは560万人以上に利用され、同年3月末までに在宅高齢者ケアサービスの利用権を持つ顧客は累計29万人を超えた。国内3万8000以上の病院と連携し、法人向け健康・高齢者サービスの有料顧客も16万5000社に達している。

市中に多数配置されているオンライン診療ブースの模型。医師の診断が終わると、横の自動販売機で薬を受け取れる。
日本でも昨年12月、医療法の改正により「特定オンライン診療受診施設」の開設が許可された。ただし、薬の無人販売はいまのところ難しい。

企業に「無人保健室+オンライン診療サービス」を提供するためのパッケージ。 これを設置すれば、社員はいつでも健康相談(健康管理支援)や診察・処方が受けられる。バイタルサイン測定器具や自己採血検査キットなどが配置され、プライマリケア医から専門医まで、必要とする医師にコンサルテーションができる。
これらのサービスと保険契約、健康管理、医療相談、在宅サービスを一体化することで、顧客との関係を強靭化・長期化させるというのが同社の事業モデルだ。
これらの数値はあくまでプロセスに関するものであり、例えば560万人がAI Doctorを利用したことで、救急搬送や入院がどれくらい抑制できたか、というような部分は明らかにできていない。また事業規模の公表値に関しても、在宅ケアサービスの「利用権を持つ顧客」と、実際に継続利用しているアクティブユーザーには解離もあるだろう。
それでも、数十万人規模でサービスを組み立て、保険商品と結び付け、医療機関や在宅サービスにつなげる。このインパクトは揺るがない。
50年前に深圳市で生まれ、市の中心部に世界第5位の高さを誇る本社ビルを有するこの保険会社は、その潤沢な財源をAIを中心とした技術開発とエコシステムの強靭化に惜しげもなく注ぎ込んでいる。
深圳市そのものも都市全体をAIの実験場にする方針を打ち出している。
市政府の2025~2026年計画では、AI端末の代表的活用事例を60以上作るとしている。その対象として製造業、金融、都市運営、行政と並んで「スマート高齢者ケア」も明記された。2026年までにAI企業を3000社以上、AI・フィジカルAIのインキュベーターを10カ所以上にする目標も掲げる。とてつもない数字だが、これは中国政府の計画ではない。深圳市政府の計画だ。フィジカルAIについては、2027年までに関連企業群を1200社以上に拡大する構想もある。
深圳市の強みは、人口規模・経済力に加えて、地域に集積された技術基盤だ。
AIモデル、半導体、センサー、通信、ロボット製造、金融、医療・介護サービスを同じ地域の中で完結・接続できる。
医療・介護現場に新しい技術を導入するとき、日本ではその多くが一病院、一施設、一自治体による小規模な実証事業で終わる。実証終了後に予算がなくなり、運営主体がうやむやになり、既存システムとの接続もできず、結局、使われなくなっていく。
深圳は、製品開発→資金調達→実証実験→行政支援→事業拡大を一つの連続した流れにしようとしている。もちろん成功事例だけでなく失敗も大量に生じるだろう。その試行回数の差が、実装能力においてすでに埋めがたい差になりつつある。
フィジカルAIがケア現場に入る
現実的な近未来のフォーカスは、画面の中で助言してくれる生成AIから、現実の空間で動くフィジカルAIへの移行だ。
ケアの現場で期待されているのは、既存の「介護ロボット」のように人型ロボットが高齢者と「それっぽいコミュニケーション」をすること(だけ)ではない。
移乗や立ち上がりを補助する、歩行訓練を支援する、物品や食事を運搬する、夜間の安否確認・巡回する、転倒した人を発見する、車椅子が自律的に目的地まで移動する、介護職員の腰や膝への負荷を軽減するなど、ケアの現場の体力的・時間的な負担を軽減するための物理的介入こそがケアテクノロジーの本丸だ。
中国政府は2025年、高齢者ケアにおけるヒューマノイドロボット、AI、ブレイン・コンピューター・インターフェースの開発・活用を推進し、在宅高齢者の安全リスクを早期に検知するスマートホームと全国的な高齢者ケア情報基盤を整備する方針を示した。
また同年、中国の主導で策定された高齢者ケアロボットの国際規格も公表された。
そこには健康モニタリング、コミュニケーション、活動支援、データ管理などについての設計・製造・試験時の技術要件が定められている。
すでに上海などでは、要介護者の移動を支援する外骨格、障害物回避や転倒検知機能を持つ自律走行型車椅子、施設内搬送ロボットなどの試験導入が進められている。
介護者が装着する外骨格についても期待が高まる。こちらもプロダクトとしての性能と安全性は徐々に高まっているようだ。ただし、「重量物を運ぶ際の身体負担を60%以上軽減する」などの性能評価がデータ上改善しつつあるものの、腰痛や離職の軽減などの具体的なアウトカムはまだ明らかにされていない。
期待の主役、フィジカルAIには大きな課題もある。
認知症の人の予測困難な行動に安全に対応できるか。ロボットが転倒や事故を起こした場合、誰が責任を負うのか。本人の同意が十分確認でない状態で、カメラや音声をどこまで収集してよいのか。監視されることで安心が増える人もいれば、尊厳を損なわれる人もいる。このあたりの整理はフィジカルAIに限らず、医療介護領域で使用されるAIについて法的位置づけを含む整理が必要なところだ。
また、介護のコアは物理的な作業ではない。
本人の表情や沈黙から気持ちを読み、いつ声をかけ、いつ待つかを判断する高度なコミュニケーション技術の求められる仕事である。たとえ機械工学的な進化がさらに進んだとしても、ロボットが人間の介護を全面的に代替するという議論は、現時点では現実的でないだろう(低スキルの医療介護専門職よりは生成AIのほうがよほど共感的だ、ということを示した臨床研究もあるが(汗)ここでは敢えて深掘りしない)。
それでも搬送、巡回、記録、環境調整、身体負荷の軽減など切り出しの可能な一部の「作業」から、フィジカルAIの導入は確実に進むはずだ。
そのとき優位に立つのは、日本のように「こだわりの職人が作る最高の一体」を志向する国ではない。完成体には程遠くとも、多くの現場で使われ、多くの失敗を重ね、それを迅速にフィードバックしながら、安全性や利用者の反応を学習データとして蓄積した国ではないか。
中国はすでに1000万体のヒューマノイドを出荷しているといわれている。
残念ながら日本はいまだ国際競争のリングに上がることすらできていない。
日本は技術開発よりも実装とシステム化で遅れている
日本にも優れたセンサーやロボット、医療AIは存在する。
認知症の人を中心に考え、生活歴や関係性を尊重するケアの哲学と実践の蓄積もある。
中国が先行しているのは間違いないが、潜在的には十分に戦える素地はあるとも思う。
特に差が開いているのは、個々の技術を「システム」に落とし込み、PDCAを回しながらサービスを磨き込んでいこうという柔軟さだ。
失敗しないように丁寧に計画を立てて、うまくいかなければ中止する。そんなことをやっていたら100年たってもケアの現場にテクノロジーは入ってこない。
日本ではメーカーはセンサーを提供するが、アラート後の看護師や医師の対応までは担わない。介護事業者が新しいデバイスを導入しても、その費用を誰が継続的に負担するのか決まっていない。研究者は論文を書き、企業は製品を作り、行政は補助金を出すが、それぞれの成果が一つの運営モデルに統合されていない。そして何より可視化が可能なリスクの存在を許さない国民性と、封建的で前時代的な各種規制が革新への高い障壁となっている。
中国の実装にも弱点はある。
サービスの導入実績が大きいことと、本人のQOLが改善したことは同じではない。
AIの利用件数やセンサーの設置件数だけが成果指標になれば、技術導入そのものが目的化する。プライバシー、監視、本人同意、アルゴリズムの偏りについては、日本以上に慎重な検証が必要な場面もありそうだ。しかし日本がこれらの問題を指摘している間に、中国では、膨大なリアルワールドデータが利用可能な形で蓄積され、製品やシステムが更新され、事業モデルが修正されていく。
慎重さは必要だ。
だが、石橋をいつまでも叩き続け、なんとか歩き出しても「とりあえず一度立ち止まろう」と一時停止してしまうと、二度と動けなくなってしまう。
これが日本の現状ではないか。
もちろん中国のアグレッシブさそのまま模倣すべきではないとも思う。
まず、本人と家族にとっての真の価値は何なのかを明確にする。
そして、認知症の発症、生活機能、在宅生活期間、介護者負担、救急搬送、入院、施設入所、本人の希望と提供された医療・ケアの一致など、それを評価するに最適なアウトカムを設定する。
テクノロジーの実装にあたっては、センサーやAIの性能向上や導入実績を目的化しない。それらがケアという「システム」にどう組み込まれれば、アウトカムが改善するのか。何を探知し、それをどう拾い、誰が判断し、誰につなぎ、そしてその結果をどう測るのか。システムの設計と運用こそが肝になるはずだ。
もう1つ重要なのは、それぞれのテクノロジーのケアにおけるエビデンスレベルだ。
システムの中核に「効果の証明されたケア」を据えることが重要だ。開発中のテクノロジーはエンジンではなく、そのアシストに使いつつ、その有用性を評価していくべきだろう。エビデンスが十分でないコミュニケーションロボットやAIは、明確な評価項目を設定した上で実際の現場で検証する。「日本独自」の個性的なプロダクトは世界でも一定の存在感があるが、「なんか面白そう」で留まっていてはスケールできない。
深圳で見せつけられたダイナミズム。
利用可能な技術を保険、医療、介護、生活の中に組み込みつつ、それを一つの「システム」として動かそうとするスケールの大きさと変化の速さ。
それは危機感というよりは、もはや相手にならないのではないかという圧倒的な存在感。
でも、認知症ケアはスケールで勝負すべき領域ではない。
本人の変化を捉え、必要な人を動かし、家族を支え、本人が言葉を失った後も苦痛と希望をケアに反映できる仕組み。満足できるレベルのシステムはまだ生まれていない。
中国は、完成度には課題を残しながらも、その仕組みを大規模に作り始めている。
日本が相当に引き離されつつあるのは、フィジカルAIをはじめとするデバイスの性能差だけではない。技術を現場に実装する力の差だ。
とりあえず日本も2つの公的保険(医療・介護)のデータの連結がようやく可能になった。健診データやワクチンの接種状況も連結管理できるようになった。医療等データの利活用も、厳格な入口規制から出口規制に転換される。AIやロボティクスの研究や実装を阻んでいた各種ルールも、徐々にではあるが規制緩和が進められている。
第4次産業革命は、技術開発から実装力競争に移りつつある。
日本にこれ以上後れを取る余裕はない。

深圳・平安保険の本社のホールから。
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