インドで在宅ケア事業をやってみて考えたこと
1年半ぶりにインドを訪問している。
目的はグループ会社(インド子会社)CARE24が運営する在宅医療・介護事業の現場視察。
経営陣との意見交換および在宅患者さんたちの訪問に同行した。
脳腫瘍で在宅療養中の元外科医
70歳のイクバルさんは外科医として活躍していた。
ムンバイの大学病院では「Doctor of the Year」に選ばれるほど信頼と実力のある医師だったが、脳腫瘍を発症。治療を重ねるもコントロール困難となり、在宅緩和ケアに移行した。意識レベルも低下し、言語的コミュニケーションは困難な状況。治療の過程で気管切開と経管栄養、在宅酸素、喀痰吸引が導入されていた。
息子さんは2人。ご長男は海外で活躍、ムンバイで眼科医として勤務するご次男さんが主介護者となっている。しかし、ご家族はみな仕事と学校で日中は不在になる。
そこで在宅復帰にあたり、わたしたちの運営するCARE24による訪問看護が導入された。
CARE24はICUケアの経験のある看護師を24時間体制で派遣(12時間ずつの交替勤務)、全身管理に加え、医療機器の管理、経管栄養や薬剤の投与などを行う。
家族はケアを全面的に看護師に委ね、それぞれが自分の生活を継続しつつ、介護者ではなく家族として患者さんに関わる。
実は4日前から発熱、尿の混濁等もあったのだが、医師の指示に基づき検体を採取、その結果から尿路感染症と診断された。そして、そのまま自宅での治療を行うことになった。
いわゆる在宅入院だ。
膀胱留置カテーテルを挿入。
血液データ等の結果から、在宅で点滴による抗菌薬の投与を1週間行うプロトコルが選択された。

介護用ベッド、エアマット、気管切開、在宅酸素、喀痰吸引、膀胱留置カテーテル・・ 日本の在宅ケアで使用される医療機器はインドでも一通り利用可能だ。

抗菌薬の投与にはポンプを使用する。台湾の在宅入院でもバクスターのポンプが使用されていた。血中濃度を適切に管理する目的とされている。日本では自然滴下が一般的。
看護師は静脈ラインを確保、指示された抗菌薬を生食に溶解し、輸液ポンプを使用して医師の指示に基づく薬剤投与速度で滴下する。わざわざポンプを使うのか、という気もするが、海外の在宅入院では抗菌薬の投与に輸液ポンプの使用を義務付けているところが少なくない。
治療開始から3日目の本日はすでに発熱はなく、尿の混濁も改善。
息子さんも安心されている様子だった。
フレイルの要介護高齢者
パラシャンティさんは77歳の女性。
4‐5年前から体力の衰えで一人で外出することが難しくなった。
しかし、同居する息子さんは工業技術エンジニアとして忙しい日々を送っており、母親の外出に付き添うことはできない。
彼女は重度の不眠症もあり、息子さんは帰宅後、深夜のトイレの付き添いなどで起こされることもたびたび、夜間介護の疲れも出てきていた。
そこで息子さんはCARE24に訪問介護の支援を依頼した。
以来、4年前から毎日、女性介護職が朝の8時から夜の8時まで彼女に付き添う。
3度の食事や更衣、清潔などの日常生活の支援に加えて、歩行器で一緒に歩く練習をして、外出の機会などを増やすようにしたところ、日中は臥床し、ふさぎ込みがちだったパラシャンティさんは笑顔が増え、夜間も良眠できるようになったという。
息子さんは、在宅ケアがなかったら、自分や母親がどうなっていたか、本当に助けられている、これから先も利用を続けたい、とおっしゃっていた。

パラシャンティさんと息子さん。僕らの訪問に合わせて仕事を休んで待っていてくれていた。
インド大都市部における在宅ケア
2700万人が暮らすインド第2の都市、ムンバイ。
ここに私たちのグループの海外事業の最大拠点がある。
CARE24は高齢者・障害者の在宅ケアからスタート、現在は亜急性期・慢性期の在宅医療・看護・介護に加えて、急性期の在宅医療(いわゆる在宅入院)にも取り組む。
亜急性期・慢性期の在宅ケアは主にムンバイとデリーの2都市を中心に。急性期(在宅入院)は一昨年の秋からインド20都市で本格的にスタート、現在はサービス提供をインド80都市に拡大している。
今回、CARE24の在宅ケアの現場を確認するために、1年ぶりにムンバイ・デリーを訪問した。
インドの訪問看護・介護は、日本のようなポイントケア(Point Care:特定の処置やケアを目的に訪問)ではない。アテンディングケア(Attending Care)、つまり患者の生活に一定時間(基本的には12時間)同伴する。その間に必要となる生活援助や身体介護を包括的に行う。
患者の家族は日中、仕事に出て不在になることもあるが、介護職や看護師が駐在することで、ケアを全面的にゆだねることができる。また、家にいる場合にも、介護の部分は専門職に任せ、自分たちは家族としての関わりを続けることができる。
わたしたちがインドでの在宅ケアに関わるようになって8年。
ケアのレベルも、ケアのレベルを担保する仕組みも着実にアップしている。
イクバルさんには褥瘡の予防のためにエアマットと自動体位交換システムが導入されていた。
経管栄養からの栄養投与量もタンパク質量も含め、適時、医師により適切にアセスメントされている。このあたりは日本の標準的な在宅ケアよりもむしろ細やかだ。

医療機器の使用や選択にあたっても、ケアマネジャーの関与が大きい。
介護保険制度はないため、これらのサービスは基本的には全額自費(退院直後の一定期間や急性期は保険によっては訪問看護の一部がカバーされる)。従って「ヘルスケアサービス」として顧客(患者や家族)がサービスを購入することになるのだが、CARE24はここで「ケアマネジャー」が最適なサービス提供についてのアセスメントとアドバイスを行う。ケアという商品を、患者・家族が自己判断だけで選択するのではなく、最善な選択を助ける仕組みを作っている。もちろんそれは顧客単価を上げることだけを目的としていない。
上記の2ケースにおいてもケアマネジャーが介在し、本人・家族にとって最適なケアプランづくりを一緒に考えた。
イクバルさんはなるべく入院したくない、という家族の要望に応じて、急変時・増悪時も含め在宅での医療ケアの対応力を最大化することに。結果、急性期でも在宅ケアを継続、入院を回避することができた。
パラシャンティさんは不眠と夜間介護疲れが主たる顧客の課題だったが、日中のケアを充実させることを優先させた。結果として、日中の離床・活動レベルと精神心理的な安定性が確保され、夜間の介護負担も軽減された。
レベルアップしていくインドの在宅ケア。
自費サービスだからこそ、サービスを提供する側にも甘えは許されない。限られた予算の中で、そのサービスの顧客価値を最大化することを意識する。
おそらくインドは将来的にも介護保険制度を作ることはないと思う。必要な人に必要なケアが届く仕組みをどう構築していくのか、顧客(利用者・患者)単位で考える。
日本においても、サービスを充実させるために、介護保険の適用範囲や財源の拡大を要求するだけではなく、事業者側の専門性と工夫で解決できる部分もあるはずだ。
文化的背景は異なるが、質量量面で着実に成長を続けるインドの現場からは毎回多くを学ばせてもらっている。
求められているのはアテンディングケアか、ポイントケアか
上記の内容をFacebookで共有したところ、有難いことに大きな反響をいただいた。
特に亀山先生のNoteは必読。在宅のアテンディングケアが制度として提供できない日本において、ポイントケアをつなぐことで十分に在宅でのサポートは可能というものだ。
https://note.com/dr_rainbow/n/n52f1db7fa631?sub_rt=share_pb
亀山先生は大変リスペクトしていますし、先生の日本のポイントケアでできることは十分にあるという点については在宅医療を20年やってきた僕としても強く頷くところだ。
しかし「やれることがある」、「自分たちは頑張っている」というのと、実際に制度あるいは事業運営者として「やれている」のか、というのは別の問題だとも思う。
独居でも、家族介護力が弱くても、ポイントケア(短時間の訪問看護・訪問介護、デイサービス、ショートステイなど)をうまく組み合わせれば安心できる生活を最後まで支えることができるか?
答えは「No」だと思う。
確かに独居でも最期まで自宅で過ごせる人がいる。
老々介護でもなんとかやれている人がいる。
それは確かにその通りだ。
しかし日本では要介護4以上になると、過半数が施設に収容されている。
要介護3でも45%、要介護2でも30%以上が施設で暮らしている。
これは何を意味しているのか。
本当に在宅ケアで自宅で安心して暮らし続けることができるなら、要介護2程度の(我々から見れば)軽度介護依存の高齢者の3人に1人が、わざわざ高い入居費を払ってまで施設(≒アテンディングケア)に転居する必要があるだろうか。
日本の在宅ケアの提供体制、すなわち医療保険と介護保険の組み合わせ「だけ」で自宅で看ていくことも、亀山先生がおっしゃる通り、確かに不可能ではない。しかし実際には難しい。
在宅医の一人としても悔しいが、これは事実。
特に無視できないのは家族の負担。
日本の介護保険制度は、点数とメニューと現場の運用実態を見ればわかる通り、あくまで家族介護の補助としての位置づけです。家族だけに担わせない、だけど、家族の完全な替わりにはならない。
結果として、家族には物理的な負担(時間を確保しなければならない)とそれに伴う社会的負担(仕事や社会活動に対する制約と、それに伴う収入減少や未来の可能性の放棄など)、肉体的な負担(生活援助のみならず身体介護をしなければならない)、精神的負担(夜中の急変の可能性など緊張感が解けない)、そして心理的負担(介護に対する義務感と責任感、それから逃れたいという気持ちの葛藤など)が生じる。
たとえ信頼できる主治医や訪問看護師から「このまま看てれば大丈夫」と言われても、「24時間看続ける」ことの負担は当事者にしかわからない。離れて暮らす家族の不安も大きい。だからこそアテンディングケアが期待できる(と思われている)施設が選択されている。
僕も自分の家族が高医療依存・要介護状態になって初めて、当事者・家族としての目線で在宅ケアを再考したとき、それがいかに容易でないことなのかが認識できた。
患者・家族がケアに求めているものは何か?
僕がムンバイの在宅ケアの投稿を通じて伝えたかったのは、日本のポイントケアよりも、ムンバイのアテンディングケアのほうが優れている、ということではない。
インドには制度がないからこそ、利用者・患者のニーズにフレキシブルに応えることができる、その結果がポイントケアではなく、アテンディングケアだった、ということ。
それが家族(世帯)としての生活の自由度を高め、それぞれの生活・人生の持続可能性を高める=尊厳の保持につながっているということ。
そしてケアのコンセプト=自立支援は、保険でも、自費でも基本的には同じ。その人や家族の「真のニーズ」をキャッチし、それに応えることが重要であるということ。
繰り返すが、ポイントケアよりアテンディングケアのほうがよいと言うつもりはない。
だけど、ポイントケアで支え切れていないからこそ、多くの高齢者が(その家族が)施設入居(アテンディングケアもどき)を選択している。この現実を無視して、ポイントケアで十分対応できているという論調には違和感がある。
日本の制度内で在宅ケアを提供する介護保険事業者には、在宅でのアテンディングケア(自費サービス)の組み合わせは頭に浮かばないかもしれない。でも「施設に入居する」という選択には、よほど自己負担の少ない古い多床室特養でもない限り、相当額の自己負担が発生する。
東京都内で特定施設・サ高住に入ろうと思えば、月30万円程度、その周辺首都圏でも20万円くらいは少なくとも必要になる。これでも自宅よりも生活面のレベルダウンを強いられることが多い。
もし施設入居のために20万、30万を毎月支払う能力があるなら、このコストを在宅でのアテンディングケアに充てることはできないのだろうか。
30万円で24時間ヘルパーを確保することはもちろんできないけど、介護保険を組み合わせて、家族負担の大きい時間帯をカバーすることぐらいはできるのではないか。あるいは介護保険ではカバーできない本人のニーズを埋めることができるのではないか。そうすれば自宅で最期まで自分らしい生活を継続できる人はもっとたくさんいるのではないか。
インドでの経験を通じて、あるいは、シンガポールや台湾で一般化しているドメスティックヘルパー(住み込み介護者)などの仕組みを見るにつけ、そんなことを思うようになった。

台湾の在宅入院の現場でお会いしたドメスティックヘルパーとして活躍するインドネシア人女性(左側)。 看護師(右側)から緊急時の連絡方法、バイタルサインのICTプラットフォームへの入力方法などを指導されている

パーキンソン病+フレイルのご主人をケアする高齢の奥さん(左)と、彼女をサポートするドメスティックヘルパー。医療機器の管理や使い方について、医師や看護師から指導を受け、彼女が主体となって在宅急性期管理を行っていくことになる。彼女は中国語はほとんど話せないが、奥様によると概ね意思疎通はできるし、難しい内容は翻訳アプリを使用しているのだという。
在宅入院:急性期を自宅で看ていくために
急性期を自宅で看ることについても、ポイントケアだけでも十分治療できる、というのはもちろんその通りだと思う。医療的にはもちろん十分に対応できる。軽症の肺炎や尿路感染なら、独居でも自宅で治療するのは難しくない。酸素吸入が必要になるようなケースでも、家族介護力が少ない在宅環境でいかに安全に急性期在宅治療を行うか、遠隔モニタリングの活用なども含めて僕らも試行錯誤している。
しかし、これも医療者の「安全に治療できる」と、本人・家族の「安心して治療が受けられる」の定義は必ずしも一致しない。
気管切開で常時吸引を必要とするイクバルさんのような重度介護の事例において(日本でもALSのケースなどが相当すると思う)、果たして老々介護や、日中家族が不在の環境下で感染症や心不全などの急性期管理が適切にできるだろうか。
あるいは日中独居になるパラシャンティさんが肺炎・心不全になったとき、点滴の治療を自宅で続けることはできるだろうか。仕事から帰宅した息子さんは、酸素吸入中のお母さんを隣室において安心して眠ることができるだろうか。
治療はできる。何が起こりうるかを事前に説明し、それぞれにレスキューオーダーを準備しておくこともできる。「ダメなら看取りで」という前提条件もあり得る。それは確かにそうなのだけど、家族が本当に求めているのは、共感ではなく物理的な安心感。離れて暮らす家族の不安を払拭するのも簡単ではない。
私たちももちろん、日本で在宅での急性期治療は頑張ってやっている。
誤嚥性肺炎と臨床診断したケースの75%は自宅や施設で治療を完結している。それができることもわかっている。だけど、そこには家族の不安や負担が伴う。ダメならそれまで、という覚悟ができているのなら、それはそれ。だけど「不安なく過ごせる」というのはちょっと難しい。そういう状況で本人・家族が療養しているのだ、ということも、わたしたちは知っておくべきだと思う。
ちなみに台湾やシンガポールの「在宅入院」の現場を見学させていただいたことがあるが、いずれも高齢単独世帯ではドメスティックヘルパーが24時間の見守りと適時報告を担当していた。彼女たちがいないとできないのか、というと、もちろんそうではないと思う。しかし、いるといないとでは、本人・家族の安心感は全く違う。
制度に最適化するのではなく、制度を最適化する
日本の制度はこうなんだから、この枠の中でケアを組み立てないといけない。
多くの医療介護専門職や事業経営者はそう考えていると思う。
しかしその前提にあるのは家族の介護力。そして本人の生活の選択肢の制限だ。
高額な自費サービス(施設入居)を選択しても、そこで得られるのは自由ではない、多くの場合には安全管理のための生活制限だ。
イクバルさんが日本で暮らしていたら、おそらく緩和ケア病棟からは出られない。あるいはホスピス型住宅に吸引されているかもしれない。在宅でも訪問看護は毎日入れるけど、1日3回の経管栄養と投薬を担うのは誰だろうか。息子さんは自分自身の診療活動と父親の在宅介護を両立することができるだろうか。
パラシャンティさんは、おそらく週に3日、デイサービスで食事とお風呂のお世話をしてもらうことになるだろう。インテリジェンスの高い彼女にとって、折り紙や塗り絵をすることが最適な時間の過ごし方なのか、それは彼女に聞いてみないとわからない。それ以外の日は自宅で日中独居。一人で外出するのは危険、自宅で穏やかに過ごしてください(寝ててください)ということになる。それは彼女の夜間不眠症を悪化させることになるかもしれない。
病気の人も、高齢者もケアを受けるために生きているわけではない。そして家族もケアをするために生きているわけではない。
その人が選択した生活・人生を生きるために、その人の強み、その人らしさをコアに(残存機能の活用という日本語訳がよく使われますが)ケアという道具を使って生きていく。
これが本来の高齢者福祉のコンセプトであったはず。
日本の健康保険、ユニバーサルヘルスカバレジは本当に素晴らしいと思うし、介護保険を有する5か国の1つに日本が入っていることを誇りに思う。そして、この制度の運用に関わる多くの優れた専門職の方々を心からリスペクトしている。
しかし、制度「だけ」では本人も家族もそれぞれの生活の継続を支えることができないという現状に対しては謙虚に向き合い、そしてよりよいケアの在り方に対して模索を続ける努力は必要なのではないかとも思う。
制度に最適化するのではなく、制度を最適化する。
そのためには制度を運用する側から声を上げていく必要があるのではないか。
世界にはさまざまな取り組みがある
日本の医療保険・介護保険による在宅ケアは、あくまで1つのサンプルに過ぎない。
世界には面白い取り組みがたくさんある。
ドイツの介護保険制度は、介護する家族や友人に対して介護報酬を支払う。そして労働保険や年金の対象として保護する。これにより仕事が時短になっても生活の質を大きく下げない、あるいは仕事を休んだりしても労働者としての権利を失わない状況を作っている。
これは家族の負担を軽減する1つの具体的な方策なのではないかと思う。日本では「嫁」が介護労働者として固定されるという議論があり、この仕組みの導入は見送られたが、女性の就労参加率が上がる中、当時とは環境も異なっており、改めて議論してもよいのではないか。
台湾やシンガポールのように「ドメスティックヘルパー」を制度化する、という選択肢もあってもよいかもしれない。韓国でもChinese Koreanと呼ばれる韓国系中国人がケアのために働く、という仕組みがある。一定額で住み込みで働いてくれる外国人ヘルパー。台湾では中国語をきちんと話せないフィリピン人やインドネシア人が家族と穏やかなに同居し、家族も全幅の信頼を置いている感じがあった。その雇用コストは老人ホームのホテルコストの範囲内。もちろん、外国人労働者としてどう位置付けるのか、という部分は慎重に検討しなければならない。だけど、公的介護サービスでカバーできない領域がこれだけ大きい状況においては、検討の余地はなくはないと思う。
アテンディングケアは、多くの新興国・途上国では比較的一般的なケアの形態だ。もちろん自費。だけど、それは払わされているわけではなく、本人・家族が必要に応じて、そして納得してサービスを購入し、そして継続している。
金持ちしかサービスを受けられないではないか、というコメントもいただいたが、それは実は日本も同じ。アテンディングケアである施設ケアを選択したければ、一部の特養以外はそれなりの経済力が必要とされる。
そして、金持ちだけがケアを受けられるのか、そんな議論の前に、まずはインドはじめ新興国・途上国の現状について理解をしていただく必要がある。
これらの国では、低所得者の多くは多世代の大家族で暮らしている。社会的ケアの必要度は相対的に低い。介護サービスを購入する必要があるのは、比較的高所得で核家族化が進行しているケース。家族として担えないところを民間ヘルスケアサービスがカバーする。
日本では介護の担い手が圧倒的に不足しているので、一人の要介護高齢者に一人の介護職を長時間張り付けるのは現実的ではないかもしれない。
しかし新興国・途上国では生産年齢人口が(現状)溢れている。日本は2060年までに1200万人の生産年齢人口を失うが、インドは毎年1000万人ずつ!生産年齢人口が増加する。一方医で仕事は足りない。大学を卒業しても3割は就職できない。そのような状況において、シニアケアセクターが大きな雇用を生み、高所得世帯から直接的な所得移転を受け取れることはこれらの国々の社会にとっても悪いことではないはず。もちろん、働く介護職にも選択の権利はある。雇用条件が悪いと思うなら仕事をやめればよいし、優秀な人はより多くを稼ぐことができるようになる。
そもそも新興国や途上国には施設(老人ホームう)という社会的リソースは現状限られている。医療保険のカバレジも小さく、入院する、入院を継続するという選択も非常に高額になる。結果として、日本から見れば贅沢に見える在宅でのアテンディングケアがリーズナブルな選択肢になりうる。
日本がいい悪い、ではない。
それぞれの国に経済力の違いがあり、人口特性があり、文化・慣習がある。
医療介護はそれぞれの社会の中で、その人とその家族の暮らしを支え続ける。
日本の良さは、日本の良さとして大切にしながら、でも、これが最善の形なのか、少し俯瞰してみる、そんな視点があってもよいのではないかとも思う。
来年の日本在宅医療連合学会は2027年7月10日・11日の二日間。
僕は大会長を拝命しているのだが、実は国際大会「World Home Healthcare Congress2027」を併催させていただくことになっている。これは学会としても初の試み。
世界でもっとも高齢化率が高く、医療介護の2つの公的保険による充実したサービス提供体制を確保した日本。果たしてこれは「成功モデル」と言えるのか。
世界で活躍する在宅医療、在宅緩和ケア、在宅入院のキープレイヤーから最先端の取り組みを共有いただくとともに、各国の政策決定者も交えてディスカッションし、最後に「東京宣言」をまとめたいと思っている。
在宅医療やケアに関わる専門職や事業運営者の方々にはぜひご参加いただけたら。
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